ゲームと選択

ゲームを買うのは数分。遊ぶには、その先の時間が要る

私のゲームライブラリは、千本、二千本というほどではない。それでも、いつか全部遊べるふりは、もうできないくらいには増えている。

セールで買ったゲームもある。紹介を見て、その場で本当に遊びたくなったものもある。今買わなければ、そのまま忘れてしまいそうだと思ったこともある。購入ボタンを押すまで、ほんの数分。そのときの興味は本物だった。

問題が出てくるのは、たいてい買ったあとだ。

ゲームを実際に起動するには、ストレージの空き容量だけでは足りない。落ち着いて座れる時間が要る。操作を思い出し、どこまで進めたかを把握し直せるだけの気力も要る。今夜はほんの少ししか進まないかもしれない、と受け入れる余裕も必要だ。物語の密度が高いゲーム、仕組みが複雑なゲーム、しばらく起動していなかったゲームでは、元の状態に戻るだけでも少し力を使う。

ストアを見るだけなら、そこまでの準備はいらない。

疲れていても、トレーラーを見て、レビューを読み、ウィッシュリストに加えることはできる。そのとき、新しいゲームには、まだいちばん魅力的な部分しか見えていない。行ったことのない世界、面白そうな仕組み、今の自分がちょうど欲しいと思っている感覚。何晩も同じ場所で足止めされることも、エンディングまでの四十時間をどこから捻出するかも、まだ考えなくていい。

ゲームを買うことと遊ぶことは、もちろん別の行為だ。それでも、その根には似たご褒美がある。新しい体験を待つ楽しさだ。

遊ぶ喜びは、実際にゲームへ入るところから生まれる。買う喜びは、それより先に、想像や「次の体験をもう手に入れた」という感覚から生まれる。期待効用に関する研究では、人は報酬そのものだけでなく、報酬を待ち、期待する時間にも喜びを感じるとされている。別の消費者研究では、一部の消費者にとって、商品が生むポジティブな感情は、所有したあとより購入前のほうが強い場合もあると報告されている。

だからといって、ゲームを買うほうが遊ぶより楽しい、という話ではない。違いは、購入なら数分で選択を終え、満足の一部を先に得られることだ。実際に遊ぶには、後日の夜や週末と、そのときに残っている注意力や体力を使わなければならない。

そんなに買わなければいい、と言う人もいるだろう。

確かにそうだ。衝動買いを減らすことはできる。ただ、それだけでは、ゲームを買うことと実際に遊ぶことのあいだにある現実的な隔たりは消えない。デジタルゲームは、あまりにも簡単に手に入るようになった。数分あれば、今月中には遊びきれない量を買えてしまう。セールが増えても、一日に遊べる時間は増えない。

しかも、プレイヤーの注意を求めているのはゲームだけではない。同じ夜に、仕事の疲れ、返していないメッセージ、SNS、動画、家事、そして本当に必要な休息がある。プレイヤーは数本のゲームに時間を振り分けているだけではない。生活全体のなかで、今夜も別の世界へ入っていけるだけの気力が残っているかを決めている。

これは不思議なことではない。ゲームが面白いか、値段に見合うか、本当に所有できるのかは、みんなで話しやすい。一方で、使える時間も気力も身体の余裕も人によって違うため、自分で判断するしかないように見える。ただ、ゲームを手に入れる方法ばかりが速くなり、遊ぶために使える暮らしの余白が増えないなら、もう一人ひとりの時間管理だけでは説明しきれない。

無料配布でも同じだ。お金を払っていないからといって、選択肢が増えていないわけではない。ライブラリに一本増えても、その場では何も失っていないように見える。けれど、今夜何を遊ぶか決めるときには、ほかのゲームと一緒にそこに並ぶ。

だまされたとは思っていない。どれももともと興味のあったゲームだし、プラットフォームから全部遊べると言われたわけでもない。ただ、買った瞬間には、ついこう考えてしまう。時間なら、いつかできるだろう。

本当にその時間を探し始めて、ようやく気づく。気になることと、実際に起動して遊ぶことは同じではない。

それでも、新しいゲームはこれからも買う。知らない世界を見れば、もちろん心が動く。購入ボタンを押すたびに、自分を問い詰めたいわけでもない。ただ、何を遊びたいのか、自分でもわからないことは多い。少し疲れていて、気分を変えたいだけかもしれない。これからの時間に、何か楽しいことが欲しいだけかもしれない。そんなとき、ストアのトレーラー、レビュー、セールは、一本のゲームをすぐに答えのように見せてくれる。でも、それでわかるのは、どれをいちばん買いたいかまでだ。自分が本当はどんなふうに遊びたいのかまでは、わからないこともある。

集めること自体が楽しいのなら、それも悪くない。ただ、購入ボタンを押した時点で、集める満足はもう得ている。けれど、遊びはまだ始まっていない。新しく買ったゲームは、ほかのゲームと一緒にライブラリで待つ。次に時間と気力のある夜が来たら、私はもう一度そこから選ぶことになる。

ゲームを買うのをやめようとしているわけではない。ただ、何か遊びたいと思ったとき、いちばん早く応えてくれるのが購入であることに気づき始めた。その高揚感は本物だ。でも、それが満たしているのは遊ぶことへの期待であって、遊ぶことそのものではない。